【サルぶろ】その①


サルぶろをご覧の皆さん

いつも横浜教室サルぶろをご覧いただきありがとうございます!

 

本日が、サルぶろその①です!

みなさんはじめまして

横浜サル園の園長です🐵

 

 

本ブログは、特に意味はありませんが、ただひたすらに房総半島の魅力をお伝えするブログで御座います。

 

気になった方はぜひ、足をお運びください(笑)

 

 

そもそも房総とは?

 

という方もいるんじゃないでしょうか

 

 

房総

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
房総三国(安房国/上総国/下総国)
安房国(■)

安房国(■)

上総国(■)

上総国(■)

下総国(■)

下総国(■)

房総(ぼうそう)とは、令制国の房総三国(安房国・上総国・下総国)をあわせた地域の呼称、現在の千葉県を主たる地域とするが、場合により範囲は異なる。

古語拾遺』によれば、神武東征において畝傍山の麓に橿原宮を造営した天富命が、阿波国に続いて開拓した地が総国とされ、のち二国に分立、西国からの移住や開拓が黒潮にのって太平洋側から進められたことから、南東側が上総国となり、北西側が下総国となった。さらに、上総国から安房国を別け令制国としての房総三国が成立した。そのため、現在の徳島県や和歌山県(一部伊豆半島も含む)と、千葉県の太平洋側で共通の地名が見られる。

房総半島(現代)の周辺地形

房総半島(現代)の周辺地形

令制国の房総三国は、隅田川以東、鬼怒川(香取海)以西の、現在の東京都・埼玉県・茨城県を含んでおり、本来の房総の範囲は千葉県に限定されるわけではないが千葉県以外の地域を房総と呼ぶことはあまりない。うち半島である部分を房総半島と呼び、南側の一部は南房総国定公園の公園区域をなし、観光地であることからテレビの旅行番組や旅行雑誌の影響もあり、現在では南部の南房総のみを単に房総ということが多い。テレビや雑誌のみならず、吉田東伍著『大日本地名辞書』「上総国」では、「されば山武郡(旧の山辺武射)は上総の管内とするも、地形は全く下総に入り、房総半島に係らずと知るべし」としており、明治時代から南房総のみを房総や房総半島とする例もみられた。

さらに南房総(あるいは房州のことで、房総や房総半島ではない)の太平洋側を外房(そとぼう)、東京湾側を内房(うちぼう)と呼ぶ。しかしこれは湯桶読みであり、例えば国鉄時代の準急は外房(がいぼう)・内房(ないぼう)であったものが、現在は外房線(そとぼうせん)・内房線(うちぼうせん)のように読まれているのである。房総丘陵と下総台地のような例もあり、誤用は房州アルプスに限ったことではない。

参考資料

  • 石井進 他・編 『千葉県の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 4-634-32120-3、「千葉と房総三国の名の由来」の項
  • 吉田東伍・著 『大日本地名辞書 第六巻 坂東』 冨山房、明治36年、「上総国」の項

 

 

つまり現在の千葉県の事ですね!

この中でも半島になっている部分が房総半島であり、

この房総半島には特に決まった範囲定義はないようですが、その自然条件や景観が特徴となっています!

外房は、九十九里の浜平野である九十九里平野、銚子市方面の屏風ヶ浦や、洲崎から野島崎などを経て太東岬へ続く海岸が広がり

※あまりきれいではない?(笑)が、波の質は良くサーフスポットとしては湘南をはるかに超えると個人的には思ってます!

また内房(東京湾側)は、富津市から大房岬にかけて岩礁や海食崖などが形成され美しい景観になっていますよ!

 

 

勝浦のはこんな感じです!

興津海岸守谷海岸

どちらも海水浴場としては人気のスポットです

 

 

 

 

 

 

こちらは館山の沖ノ島です。

島と名前がついていますが、砂浜を歩いて行くことができます!

 

 

 

このように海なイメージが強い?房総半島ですが、実はもよきです!

千葉の山は標高も低く、道もそれほど難しくないので、初級者でも安心!

山頂からは東京湾や富士山が望める山も多くあります!

 

 

鋸山と、伊予ヶ岳です

鋸山の地獄覗きは、東京湾が一望でき、伊予ヶ岳は房総のマッターホルンともよばれ(笑)ちょっとした鎖場もありさらっと楽しくさらっと登れるので、デートなんかにもぴったしです!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

今回は、南房総について、海と山に注目して紹介させてもらいましたが、

他にも楽しみ満載の房総です!

こんなスポットがたくさんありながら、都心から日帰りで来れる房総半島です!

 

 

次回以降も南房総の魅力を全力で伝えていきます!

 

気になったからは、ぜひ遊びに来てくださいね!